名古屋の旅②
住んでいたころ私はたまーに行く街だったんだけど、主人は行ったこと無かったから郊外へ行ったの
場所は、きゃい~んのあまのっちのご実家がある岡崎です
場所は、きゃい~んのあまのっちのご実家がある岡崎です
この日はお腹をすかせたまま岡崎へ
それは、モーニングをするため
住んでいた時に見つけた、岡崎でモーニングするならココというぐらいお気に入りの所
行ってみたら、改装されていてすっごくキレイになっていたわ
それは、モーニングをするため
住んでいた時に見つけた、岡崎でモーニングするならココというぐらいお気に入りの所
行ってみたら、改装されていてすっごくキレイになっていたわ
ジャーンモーニングです
コーヒーに、いろいろ付いてきすぎ(笑)
もはや、コーヒーはメインではなくなっているわ
コーヒーに、いろいろ付いてきすぎ(笑)
もはや、コーヒーはメインではなくなっているわ
岡崎城の隣にある龍城神社
そして、岡崎城へ
そんなに大きくはないし名古屋からも離れてはいるけれど、徳川家康が産まれたお城なのです
岡崎城は「神君出生の城」と言われ、神聖視されたお城でもあります
5万石ほどしか無かったけれど、ここの城主であることを誇りに思う大名が多かったんだってさ
そんなに大きくはないし名古屋からも離れてはいるけれど、徳川家康が産まれたお城なのです
岡崎城は「神君出生の城」と言われ、神聖視されたお城でもあります
5万石ほどしか無かったけれど、ここの城主であることを誇りに思う大名が多かったんだってさ
今年は、家康誕生から400年という節目の年でもあるから、イベントもいろいろやってるみたい
岡崎城の門の所に、徳川家の家紋にもなっている二葉葵が置かれていたよ
そして、奥殿陣屋へ
ここも全然知名度低いんだけど、徳川の母体である松平家の歴史が始まった場所でもあるの
郊外ということもあって、前に来た時は何だかこの世から忘れ去られている雰囲気が漂っていて可哀想という印象が強かった
なので、奥の鳥居から階段を上って松平家の歴代藩主のお墓参りを先に済ませたわ
ここも全然知名度低いんだけど、徳川の母体である松平家の歴史が始まった場所でもあるの
郊外ということもあって、前に来た時は何だかこの世から忘れ去られている雰囲気が漂っていて可哀想という印象が強かった
なので、奥の鳥居から階段を上って松平家の歴代藩主のお墓参りを先に済ませたわ
鳥居をくぐって階段をずっと登っていき、更に山道を上がっていきます
汗だくになったけど、やっぱりこの雰囲気・・・あまり人が来ていないんだと想像できるわね
お墓参りを済ませて山を下ってくると、途中から整備された道に出ます
お庭を上から見れるお店で休憩
お庭を上から見れるお店で休憩
お客さん、だーれも居ない
冷やしぜんざいをいただきながら、噴き出た汗がおさまるまで庭園を眺めながら涼みました
冷やしぜんざいをいただきながら、噴き出た汗がおさまるまで庭園を眺めながら涼みました
お店を出て道を更に下るお庭です
「蓬莱の庭」と呼ばれていて、右手にある書院は今は喫茶室として利用されているの
私達が冷やしぜんざいをいただいたお店「金鳳亭」は、左手の建物の2階
「蓬莱の庭」と呼ばれていて、右手にある書院は今は喫茶室として利用されているの
私達が冷やしぜんざいをいただいたお店「金鳳亭」は、左手の建物の2階
ちょっと寂しい場所だけど、徳川幕府直轄領の代官の住まいや役所があった場所で、初代の松平真次は徳川秀忠(家康の三男)に仕えた人
7代目の藩主の息子は茶道の裏千家11代目の家元だったり、最後の藩主は日本赤十字社の前身となる会社の設立に尽力した人で勝海舟や坂本竜馬とも交流のあった人
そんな方達が過ごした場所でもあるのです
名古屋には来ても、郊外のこういう場所に足を運ぶ人が少なく残念でなりません
7代目の藩主の息子は茶道の裏千家11代目の家元だったり、最後の藩主は日本赤十字社の前身となる会社の設立に尽力した人で勝海舟や坂本竜馬とも交流のあった人
そんな方達が過ごした場所でもあるのです
名古屋には来ても、郊外のこういう場所に足を運ぶ人が少なく残念でなりません
私達は逆回りだったからここから出たけど、お墓参りをしない場合はここから入ってすぐお庭になります