京都の旅~雲龍院・東福寺~

泉湧寺一番奥にあり、七福神巡りで大黒様がいらっしゃる所で「走り大黒天」が有名
ここは、書院が5つもあります

「悟りの間」
丸い窓は、禅の世界で「悟り」を表現しているとのこと
「そうだ京都、行こう」のCMでもおなじみね
お部屋の障子が掛け軸のような役割をはたしています
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れんげの間」
部屋には座布団が一つおいてあり、座って見ると4つの窓に左から椿、燈籠、楓、松が切り取られて見える仕組み
素晴らしい遊び心
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「月窓の間」
ギリギリまで言ってお庭の眺めた場合と、部屋の奥に入りお庭の眺めた場合とで同じ景色でもこんなに違う印象になる
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真ん中の高い杉の木は、昔落雷に有りこの姿に
昇り龍にも見えます



「清浄の間」
大きい窓枠が柱で小窓に見えたり面白い


ここにある水琴窟は、竹筒でしっかりと音色を楽しむことが出来たわ

「大輪の間」
5つの中で一番大きい書院で、庭園が一番良く見渡せる
この書院がメインなのだと解るお庭の造りになっていたわ
いろいろな場所から眺めるだけで、表情のちがったお庭た楽しめる
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霊明殿は中に入ることはできません
雲龍院は「写経のお寺」としても有名で、現存する最古の写経道場でもあるそうです
写経ができる龍華殿の中は、写経をしなくても見て回ることができたわ


霊明殿から龍華殿に行く途中に灯籠があるの
徳川慶喜が寄進した灯籠で、幕末に薩摩藩が放り投げたものを住職がここにこっそり運ばせたらしいです
紋の真中に建つ灯籠は初めてみたわ



パンフレットやポスターにもなるここからの景色
青もみじが美しいかった
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今回は橋ではなくお庭の方にお邪魔したの
「八相の庭」と呼ばれていたけど、2014年に国指定名勝に登録されてから「国指定名勝 東福寺本坊庭園」という名称になりました
広大な方丈には東西南北に四つの庭があって「八相成道」に因んで「八相の庭」
方丈の四周に庭園を巡らせているのは東福寺本坊庭園のみなんだって
「八相の庭」とは、「蓬莱」「方丈」「濠洲」「壷梁」「八海」「五山」「井田市松」「北斗七星」の八つのことで、釈迦の生涯の八つの重要な出来事を指す「八相成道」に因んで命名されたものなんだそうです


「東庭」
北斗の庭ともよばれる
狭い空間の中に7つの円柱の石組みと天の川を表す白川砂、苔、生け垣を配し夜空に輝く北斗七星に見立てています
円柱は、もともと東福寺にあったトイレで使用されていた礎石
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「西庭」
サツキの刈込みと葛石で表現された市松模様の庭
井の字に等分した古代中国の田制「井田」に因み、「井田市松」と呼ばれています
葛石は社寺の建物の壇の先端にある縁石のことで、もとはこの方丈で使われていた縁石
通常の庭造りでは人工的な直線の石を使用するのは避けられているが、この廃材を使うために生み出されたのがこの市松模様なんだって
西庭から北庭への間には「通天台」と呼ばれる舞台があって、渓谷「洗玉澗(せんぎょくかん)」を一望できます


「南庭」
広大な枯山水のお庭
古来中国大陸の蓬莱神仙思想では、東の大海の彼方に仙人が往む「蓬莱」「方丈」「濠洲」「壷梁」と呼ばれる四仙島があり、島には仙薬財宝があると信じられていたそう
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巨石によって力強く配置された四仙島、渦巻く砂紋によって「八海」を表し、西方には「五山」になぞらえた築山があります
正面に設けられた表門は明治天皇の皇后の寄進で「恩賜門」と呼ばれている
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「北庭」
西庭の立体的な市松模様から、北庭はより刻みのある市松模様へと変化
これは、釈迦の入滅までを表したもので、最初は規則性のある市松模様がどんどんと崩れていき散り散りに・・・
そして一つずつの石が東へと消えて無くなっていく模様になっているの
ウマスギゴケの縁との対比が美しい四角い敷石は、勅使門から方丈に向けて敷きつめられていた切石

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これらの個性的な面白い庭が作られた理由は、作庭にあたって唯一の条件として東福寺側から提示された「方丈内にあった材料はすべて廃棄することなく、もう一度再利用する」という条件
これは禅の教えである「一切の無駄をしてはならない」から提示されたことで、庭造りとしてはかなり厳しい制約だったそうです
しかし、その制約のおかげで斬新なこれらの庭が作られるきっかけになりました



珍しく帰り道で富士山がキレイに見れた
けど、やっぱり雪の帽子をかぶっていない富士山は、なんだか寂しいな
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最後の食事は、ほうとう
写真と違って、カボチャがあまりないじゃんとガッカリしたけど、中にゴロゴロ入っていたわ